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浦和地方裁判所熊谷支部 昭和60年(ワ)201号 判決

原告

青木彰信

右法定代理人親権者父兼原告

青木正春

同法定代理人親権者母兼原告

青木正江

右三名訴訟代理人弁護士

松尾一郎

鈴木幸子

赤松岳

被告

熊谷医療生活協同組合

右代表者理事

新井一世

右訴訟代理人弁護士

須田清

伊藤一枝

岡島芳伸

嘉村孝

右復訴訟代理人弁護士

高木孝

主文

一  被告は、原告青木彰信に対し、金八一六〇万九〇七六円及び内金七四二〇万九〇七六円に対する昭和五一年五月二〇日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告青木正春、同青木正江に対し、各金五五〇万円及び内金五〇〇万円に対する昭和五一年五月二〇日から支払済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告青木彰信のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告青木彰信と被告との間に生じた分の三分の二を原告青木彰信の負担とし、原告青木彰信と被告との間に生じたその余の分及び原告青木正春、同青木正江と被告との間に生じた分を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項のうち、原告青木彰信につき金一〇〇〇万円、原告青木正春及び同青木正江につき各金五〇〇万円の部分に限り、それぞれ仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求の趣旨

被告は、原告青木彰信に対し、金一億八四九〇万九〇三八円及び内金一億七〇五〇万九〇三八円に対する同原告の退院した日の翌日である昭和五一年五月二〇日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告青木正春、同青木正江に対し、各金五五〇万円及び内金五〇〇万円に対する同じく昭和五一年五月二〇日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二当事者の主張

一原告ら

原告青木正春、同青木正江の次男として昭和五一年五月七日埼玉県北足立郡吹上町所在の平野産婦人科医院で出生した原告青木彰信が、母子間血液型不適合による新生児溶血性黄疸を発症し、同月一〇日午後六時ごろより黄疸症状の増強と哺乳力の低下や嘔吐の頻発する状態になったので、同医院の平野俊雄医師は、原告彰信を被告の経営する熊谷小児病院に転院させたところ、同日午後九時過ぎ原告彰信を収容した同病院において、担当医師は、右の状態にある同原告につき、直ちに血中のビリルビン値を測定したうえ、速やかに交換輸血を施行すべきであったのに、光線療法を施行したのみで、ビリルビン値の測定や注意深い経過観察を行わないまま、翌一一日午前九時過ぎまで時間を空費し、よって同原告を核黄疸に罹患させるとともに、治療の時期を失わせて、脳性麻痺による重大な障害を後遺させたのであって、被告に対し、債務不履行または不法行為に基づき損害の賠償を求める。

二被告

原告彰信は平野産婦人科医院において出生後順調に成育していたものであり、それを受け継いで診察に当たった被告の担当医師の処置は、昭和五一年当時の臨床水準において相当のものであって、交換輸血の時期を失したとはいえず、しかも同原告が被告病院に搬送されたのは夜間である午後九時過ぎで、その時点で被告病院において直ちにビリルビン検査をなし得る状況にはなく、また、同原告は三度の交換輸血を経、十分な治療効果を得て退院しているのであるから、被告に責任はない。

第三当裁判所の判断

一事件の経過

(争いのない事実、並びに〈証拠略〉)

原告青木彰信は、昭和五一年五月七日午前一一時五三分、埼玉県北足立郡吹上町所在の平野産婦人科医院(院長平野俊雄医師)において、原告青木正春、同青木正江の次男として出生した。母親の妊娠時には終始異常なく、分娩経過も順調であり、出生時、原告彰信の体重は三四〇〇グラムで、外見的に異常はみられなかった。

ところが、原告彰信には、出生の翌日である同月八日から黄疸があらわれ、それが同月九日にやや増加気味で、三日目の同月一〇日には目の白眼部分も黄色となり、新生児黄疸計のイクテロメーターで黄疸度を測ったところ、その数値は4(計器に添付の表による血中ビリルビン値換算では15.73前後となる。)であり、これを同医師は「++」と記録した。

右黄疸について、平野医師は、最初は新生児に通常あらわれる生理的黄疸であると考え、三日目の夕刻まではその推移を見守る状況にあったところ、三日目夜に入って、黄疸に加え、それまで順調に哺乳していたのが、乳を吸おうとしても口がもたついてうまく吸えなくなり、哺乳力も低下したことから、黄疸が更に増強する可能性を否定できないと判断して、小児科の専門病院で、日頃から一番信頼できると思っていた埼玉県熊谷市大字上之二一五三番地に所在の、被告の経営する熊谷小児病院への転医を考え、そのころ、同病院の院長宛に電話連絡して、その了解をえたうえ、「生後一日目は黄疸+なれども正常範囲と思考・ミルク一回二〇CC、二日目は黄疸+やや強・母乳+ミルク一回四〇CC、三日目(本日)昼間は二日目と同様・殆ど母乳のみ哺乳・夜に入りPM8時頃より哺乳力が低下した・黄疸++」との経過を記載した同病院宛の紹介状を認め、これを原告らの家族の者に持たせて、原告彰信を同病院に赴かせ、原告彰信は同日午後九時過ぎごろ同病院に到着した。

熊谷小児病院においては、前年の昭和五〇年四月に医師資格を取得して後、大学病院に勤務する傍ら、当時、非常勤の形で同病院に当直として勤務していた石原博道医師が、同一〇日午後一〇時ごろまでに、平野医師からの紹介状を見たうえ、原告彰信の診察に当たり、皮膚の色は黄疸色ではあるが、一般状態はそう悪くなく、紹介状の記載についても、同医師としては、黄疸が特に強い場合には、「2+」とか「3+」の記載をするのに、その記載がないこともあって、そんなにひどい黄疸とはいえないと考え、また、哺乳力の低下はときどき見られることであるし、黄疸症状が進むと減縮・衰退するモロー反射や引き起こし反応が診られたことからも、黄疸は異常に強いというものではないと判断して、先ずは同日午後一〇時半ごろ同原告を入院させ、当日の処置としては、ビリルビンを光のエネルギーで胆汁や尿中に排泄可能な極性の型に変化させる光線療法を施行し、以後、経過観察することにして、各種検査の施行を翌日への連絡票に記載したが、その場での血中ビリルビン値の測定にまでは至らなかった。

生後四日目の翌同月一一日午前九時ごろ、原告彰信を診察した同病院小林茂雄医師は、同原告の泣き声に少し叫喚があり、やや手足が硬いかなという感じがあったので、核黄疸第一期の症状ではないかと考え、交換輸血を施行することとして、大宮市内の輸血センターに血液の手配をするとともに、血中ビリルビン値を測定したところ、48.1であった。約二時間を要して血液が到着し、同医師によって交換輸血が行われ、三時間位かかって午後四時四五分終了した。

五月一二日、血中ビリルビン値が31.5で、二度目の交換輸血を施行し、なおもビリルビン値の上昇が懸念されたので、翌一三日三度目の交換輸血を行なった。

その後、血中ビリルビン値は、同月一四日に20.5ないし18.6、一五日に16.1、一七日に12.7、と推移しており、そこでそれ以上の交換輸血は施行せず、この間、原告彰信には、黒い瞳が下がって一定時間固定される、いわゆる落陽現象が同月一六日にみられたが、母乳の呑みは良いし、四肢の硬直性も当初より柔らかくなってきたことから、院長の小林茂雄医師は、これ以上入院させておく必要はなくなったものと判断し、同月一九日退院に至った。

右退院後、原告彰信は、熊谷小児病院に通院し、引き続き小林茂雄医師の診察を受けていたところ、同年九月二五日診察の際、小林医師は、同原告が、落ち着きなく体を動かし、四肢の左に軽度の硬直がみられ、落陽現象が中度に出現していることから、脳性小児麻痺が発症しているのではないかと考えた。

翌昭和五二年二月二八日の吉住医師の診察時には、首の座りがまだ不完全な状況であり、そこで同医師に機能訓練を勧められて、そのころから、各地の施設で運動機能や発語などの訓練を受け、今日に至っているが、原美智子医師の診断によれば、原告彰信の現症は、アテトーゼ型脳性麻痺で、上肢・手指・顔面に、特に会話、書字などの運動時において、捻れた動きを見せるアテトーゼ様不随意運動を認め、発語障害、歩行時においても、軽度ではあるが、舞踏様病といわれる失調性がみられるほか、聴覚の障害、殊に高音域難聴、錐体外路障害の異常反射所見である背反射が存し、こうした四肢などの障害から今後普通の労働に就くことは不可能の状態にある。

二原告彰信に脳性麻痺を生じさせた原因

(一に記載の証拠のほか、〈証拠略〉)

鑑定書の記載に依拠しつつ検討する。

先ず、原告彰信の出生時についてみるに、母親である原告青木正江に妊娠時の異常は認められず、また、原告彰信にも新生児経過において心身障害を起こす原因となるような敗血症・髄膜炎や代謝性疾患を疑わせる症状はなく、そこで、原告彰信には新生児期に障害が起こったものと考えられるが、その原因としては、医学上、高ビリルビン血症との関係が最も指摘されるところであり、このことは、原告彰信に現在見られるアテトーゼ型脳性麻痺及び聴覚障害、殊に高音域難聴といった徴表が、高ビリルビン血症に起因して生じるとされている恒久的脳神経障害の表れ方に一致していることからもいうことができる。

ところで、新生児にその生理的特徴から多くの場合に生じる生理的黄疸は、通常では生後一日目には現れないとされているが、原告彰信の場合には、これと異なり、生後一日目から黄疸が臨床的に認められていた早発黄疸であって、しかも、検査所見及びその後の経過に照らし、ほかに高ビリルビン血症を起こす原因が否定されていること、またABO式血液型が母親O、原告彰信Bで、血液型不適合の生じ得る場合であることから、同原告に生じた高ビリルビン血症の原因は、BO血液型不適合による溶血性黄疸である、との診断が仁志田博司医師によってなされているのは首肯できる。

一方、理由の如何を問わず、あるレベル以上の高ビリルビン値は、脳障害を引き起こすところの核黄疸と呼ばれる症状の原因になることが医学上広く知られている。核黄疸の臨床所見としては、Praaghによって四期に分けられており、「第一期では、筋緊張低下・哺乳力減退・嗜眠傾向。第二期では、四肢硬直・後弓反張・落陽現象。第三期では、第二期の症状が減弱または消失する。第四期では永続的な後遺症としてのアテトーゼ・凝視麻痺・聴力麻痺・エナメル質異形成などが次第に明かとなる。」という症状が表れるとされているが、うち第一期の症状は必ずしも截然とした形で出てくるものではないのが実情であるところから、黄疸の発症を機に積極的に血中ビリルビン値を測定でもしない限り、場合によっては、これをその早期において発見し、その発生時期を確定することは、必ずしも容易でないといえる余地はある。

そこで、鑑定人仁志田博司医師は、後方視的には、五月一〇日の哺乳力の低下した時点で核黄疸が発症していたが、これが臨床的に診断可能になったのは、高度の黄疸の所見にともない核黄疸の症状が明らかになった時点、すなわち、右五月一〇日夜間から翌一一日朝にかけての間である旨鑑定しているが、右鑑定結果は肯認し得るところであり、更に、同医師の証言によれば、五月一〇日午後一〇時ごろまでに石原博道医師が診察した時点で、原告彰信にモロー反射や引き起こし反応が診られていることは、右診察当時、核黄疸の発症にもかかわらず、未だその第二期の段階にまで進行していなかったことを示しているものということができる。

そして、右診察当時における血中ビリルビン値がかなり高進の状態にあったことは、熊谷小児病院に入院した五月一〇日の午後一〇時過ぎごろ光線療法が施行されたのに、翌日の午前中に測定された血中ビリルビン値が48.1と異常に高い結果を示していたことで裏付けられているところであり、その後の三回にわたる交換輸血によって血中ビリルビン値が12.7にまで下がっているのであって、現在、原告彰信に生じているアテトーゼ型脳性麻痺は、右診察当時、高ビリルビン値の状態のなかで既に発症していた右核黄疸が、翌一一日午前九時ごろの小林茂雄医師による診察時までに第二期に進行し、その後遺症状としてのものであるといわざるを得ない。

三被告病院担当医師の注意義務とその懈怠

(二に記載の証拠)

新生児の赤血球を抗原とする抗体が母体内に発生し、その抗体が新生児の体内に侵入して新生児の赤血球を破壊することから、母子間血液型不適合による新生児溶血性疾患が生じる。この破壊された赤血球のヘモグロビンは、間接ビリルビンに変化して黄疸症状を呈し、溶血性黄疸となるが、溶血性黄疸は、新生児に通常の場合生後三ないし四日目に生じる生理的黄疸とは異なり、生後二四ないし四八時間内に発現する早発黄疸であるので、早発黄疸が発現した場合には溶血性黄疸を一応疑うのが医学上の知識となっている。

溶血性黄疸を生じさせる間接ビリルビンの血中の値が一定の限度を越えると、脳細胞の壊死に至る核黄疸を発症し、重大な脳障害を生じさせるが、こうした事態に至るのを阻止する方法としては、黄疸への対応は新生児医療における最も重要な事項の一つでもあるから、黄疸の増進が疑われるときには、光線療法を行うとともに、症状探知のため、血中ビリルビン値の測定を行い、遅くとも核黄疸第一期の段階で交換輸血を施行すべきものとされており、これによって、極小未熟児・心不全・感染症などの特殊な症例を除けば、臨床上ほぼ一〇〇パーセント核黄疸第二期の段階への進行を食い止め、もって後遺障害の発生はない、というのが昭和五一年当時すでに得られていた医学水準である。

熊谷小児病院の石原博道医師は、五月一〇日午後一〇時ごろまでに平野産婦人科医院から送られてきた原告彰信を診察した際、平野俊雄医師からの紹介状を見て、同日午後八時ごろから哺乳力が低下したうえ、黄疸の程度が生後一日目で「+」、二日目も「+」でやや強、三日目には昼間は同様であったが、夜になって「++」、という状態であり、しかも、新生児には新生児黄疸といわれている生理的黄疸が通常みられるとはいえ、このような黄疸は、通常生後一日目にして表れることは余りないものとされているのに、原告彰信の場合には生後一日目にして発症しているのみならず、その黄疸の程度がその日に「++」という形で表されているまでになっているのを知り得たのであるから、医師として、黄疸の表れ方に或いは異常なものがあるのではないかとの考えを抱き、核黄疸発症のことを慮って、黄疸の原因となっている血中ビリルビンの値が如何なるものかを知るため、直ちにその測定をすべきであった。

もっとも、核黄疸は、その第一期の段階では、その症状が必ずしも臨床的に明確に捉えられる形で現れないのが実情であることから、石原医師にとって、原告彰信の外見のみから直ちに核黄疸の発症を確知することは或はできなかったのではないかといい得る余地の考えられるところである。しかしながら、原告彰信の場合には、黄疸の程度が生後一日目にして発現した早発黄疸であって、仁志田博司証人は、この状況自体がすでに異常で、溶血性黄疸を疑わせる所見であり、早期の段階からビリルビン値を測定すべきであったと思う、加えて哺乳力の低下もあって転医して来たのであるから、その段階でビリルビン値を測定する必要があった旨述べているが、右証言に照らしても、診察時において直ちに血中ビリルビン値の測定をすべきであったことを免れる状況にはなかったものである。

そして右入院後直ちに血中ビリルビン値を測定していれば、核黄疸の発症を知り、そこで、適切な対応、すなわち、この場合は直ちに交換輸血を行うに至って、その後の同病院における即応した手当と相まち、核黄疸の第一期の段階で血中ビリルビン値を下げることができ、他の事例と同じように、その後遺症の発生をほぼ一〇〇パーセント防ぐことができたものと見られる。

然るに、石原医師は、右「++」及び哺乳力低下の記載につき特別の考慮を払うことなく、黄疸について普通以上に強いとは判断せずに、処置としては光線療法を行なったものの、各種血液検査は翌日行うように連絡票に記載し、就中、血中ビリルビン値の検査を直ちにしなかったため、血中ビリルビン値が交換輸血を直ちに施行しなければならないほどの状況になっているのを知るに至らず、もって、右交換輸血をするのに適切な時期を逸し、原告彰信の症状をして核黄疸の第二期に進行させ、アテトーゼ型脳性麻痺の後遺症を生じさせたものである。

(右の点につき、石原博道医師は、平野医師からの紹介状の記載に対し、黄疸については、正常ではなかったとは思うが、これだけではわからない、特に強い場合、石原医師自身は「2+」とか「3+」というような記載をするが、その記載がないということは、そんなにひどいというものでもなかったかと思う、大学ではイクテロメーターの数字をそのまま読んでいた、「++」というような言い方はしなかったので、自分には分からない旨述べ、また、哺乳力に関しても、哺乳力が低下したというのも、その日のどの時点であったのかも分からないし、ときどき哺乳力が低下するということはあるので、これだけでは重症とは感じなかったと思う、とも証言しているが、苟も、医師が、夜間であるのに、紹介状を付して転院を申し出、しかも、その書面の中で、生後一日目に黄疸が出、二日目にこれがやや強くなっていたのが、当日の夜になって更に増した、かつ、夜には哺乳力も低下した、と認めているのに、これらについて、平野医師に問い質すというのでもないままに、「++」という記載は自身の「2+」という記載と異なるからということで重視せず、哺乳力に関する記載も、結局は顧慮しない態度をとってしまったというのは、同証人が真に右のように考えていたとするならば、医師としての能力、判断の内容を云々される前に、通常の社会人としての常識、感覚に欠けるものがあったといわざるを得ないところであって、右証言内容をもって同医師に診療上の手落ちがなかったとの証左には到底なし得るものではない。)

なお、鑑定人仁志田博司医師は鑑定書中において、「本症例に関して、五月一一日5.00PM(熊谷小児病院入院後一八時間三〇分)に行われた交換輸血を、Praaghの二期症状である四肢硬直発現前と推測される入院直後に行えば、後遺症の発生の予防または軽度の可能性は考えられるが、明言はできない。」と記載しており、この点について、同医師は、データや経験の上では核黄疸は第一期に交換輸血が実施されれば後遺症を残さず治癒するといえるが、核黄疸の発症・進行・治癒の過程は科学的にまだ完全に解明されておらず、従って、第一期に交換輸血が実施されれば後遺症を残さず治癒することも科学的には完全に証明されるまでに至っているとはいえないし、また、未熟児や合併症がある新生児については、機能障害の表れ方に通常とは異なる場合のあることから、科学的には明言できない旨証言していて、第一期における交換輸血によって核黄疸の発症を阻止できるとは断言できないとの見解を有しているがごとくである。しかしながら、同証人のいうところは、要するに、第一期の段階で交換輸血が施行されていれば、従来の実務経験では、後遺症を生じることなしに治癒しているが、それだからといって、核黄疸発生のメカニズムが科学的に解明されているわけではないのであるから、同証人としては、右の場合に核黄疸は発症しないと学理上言い切ることはできない、との趣旨をいうものであると見られ、他方、同証人は、原告彰信が正常産で合併症も認められない、と述べていて、同証人の懸念する通常の新生児の場合と異なった事情が存するというものでもないことを併せると、熊谷小児病院に転院してから後、適切に交換輸血が実施されていれば、概ね後遺症を生じることなく治癒していたと経験則上認めるに妨げはないものということができる。

以上に対し、被告は、石原医師が原告彰信を診察した当時、夜九時過ぎごろであって、血中ビリルビン値を測定できる状況になかった旨主張する。しかし、当時夜間とはいえ、深夜というような時刻ではないうえ、石原博道医師は、患者の具合が悪ければ夜間でもビリルビンの検査をするし、可能でもある旨証言しており、院長の小林茂雄医師も、夜間でも緊急時には検査技師を呼び出すことはする、特別のことがあれば院長の方に連絡するシステムになっていた、また、ビリルビン値の検査には臨床検査技師資格と普通の検査技師資格が必要であるが、医師もできる、しかし医師は普通はしない旨述べているのに照らすと、血中ビリルビン値の測定が夜間であるがため直ちにとりかかれる状況にはなかったというものではなく、右抗弁は採用できない。

四責任

以上によれば、被告は、原告らに対し、民法七一五条一項に基づき、診療上の注意義務を尽くさなかった過失を原因とする不法行為によって生じた損害を賠償すべき義務がある。(平野俊雄医師の対処にも必ずしも事態に即応した然るべき措置を講じたとは見られない点が存するが、それなるが故に、原告らとの関係において被告の本訴上の責任が減殺ないし軽減されるものでないことはいうまでもない。)

五損害額の算定

1  原告彰信の損害

イ 逸失利益 一九〇九万七九〇一円

計算の根拠 年間収入二五五万六一〇〇円(昭和五一年度賃金センサス男子労働者学歴計企業規模計全年齢平均)にライプニッツ係数の7.4715を乗じた額。就労可能年数は一八歳から六五歳まで、ただし原告彰信はアテトーゼ型脳性麻痺のために労働能力の一〇〇パーセントを喪失している。

(請求額 九八二〇万九〇八四円)

ロ 付添費用 三五一一万一一七五円

原告彰信は、脳性麻痺のため、アテトーゼ様不髄意運動を生じさせる運動障害及び聴力障害が存するうえ、右聴力障害に伴う知的能力の遅れも見られ、発語も極めて不明瞭という現状にある。こうしたなかで、これまでの機能訓練により、食事・衣服の着替え・排泄といった日常の自己の身の回りに関する行動については、時間をかければ自力で一応その場しのぎ程度にできるようにはなっているものの、清潔を保ち、身辺を整えるにはなお手をかけてやらなければならず、これがため、日常生活のかなりの部分にわたって付添いを必要とする状態にある。そして、このような運動障害及び発語・聴力障害に対する医学的治療の可能性は現時点においては期待できないし、機能訓練による改善にも限界の存するところであるのみならず、脳性麻痺の者について、一般的に、付添いの中断するときは、かえって、それまでの訓練によって得られた成果が後退する恐れさえ存するといわれており、従って、付添いの期間も、生涯継続することになるものとみられるし、また、原告彰信の体格的成長によって付添いに要する労力の増加なども加わることを考えると、付添いをめぐる事情は増加することはあっても軽減することは考えにくい。こうした状況のもとで、付添いのための費用としては、これが実際にはかなりの期間中両親ら近親者によって行われることを考慮しても、一日あたり五〇〇〇円の割合による年間一八二万五〇〇〇円を相当と認め、これをもとに、昭和五一年度の平均余命六七歳、ライプニッツ係数19.2390に依拠して計算した。

(請求額 五二二九万九九五四円)

ハ 慰謝料 二〇〇〇万円

小児科の専門病院である熊谷小児病院で当時の医療水準における医療措置が当然にとられていれば、少なくとも概ね健康な男子として成長し、活躍することを期待できたのに、担当医師が右措置を怠ったために、アテトーゼ型脳性麻痺の後遺症を生じ、これがため、一生涯、人として本来享受できた自由な生活を望むべくもない状態におかれるに至ったのであって、その精神的苦痛は極めて重いものであるといわざるを得ず、これに対する慰謝料は二〇〇〇万円を相当と認める。

(請求額 二〇〇〇万円)

ニ 弁護士費用 七四〇万円

(請求額 一四四〇万円)

2  原告青木正春・同青木正江の損害

ホ 慰謝料 各五〇〇万円

原告彰信について、当時の医療水準による適切な処置が講じられていれば、アテトーゼ型脳性麻痺というような心身ともに不自由な状態に直面することなしに成長していくであろうわが子を見守ることが期待できたのに、生後間もなくして一生涯にわたり障害を負うに至ったわが子と共に生活するという、この間の落差は余りにも大きく、その身を思う親としての心情、更にその介護に当たる心労は、いずれも並大抵のものでないことに思い到るとき、右に対する慰謝料は、各五〇〇万円を下るものではない。

(請求額 各五〇〇万円)

ヘ 弁護士費用 各五〇万円

(請求額 各五〇万円)

(裁判長裁判官渡邉一弘 裁判官谷川克 裁判官山口信恭)

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